Autodesk University Japan 2011
Twitter AUJ

Autodesk University Japan 2011 レポート

はやぶさを支えた日本のテクノロジーと技術者魂 川口 淳一郎 氏(独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)、月・惑星探査プログラムグループプログラムディレクタ、宇宙科学研究所宇宙飛行システム研究系教授)

テクノロジーだけでなく、意地や根性が原動力に

昨年6月、60億キロに及ぶ長い航行を終え、7年ぶりに地球へ帰還した小惑星探査機「はやぶさ」のミッションは、幾度もトラブルに襲われたそのドラマチックな展開や、見事使命を果たしながら最後は大気圏で燃え尽きるという悲劇性も相まって、多くの日本人の心を打ち、大きなブームとなりました。同時に、そのプロジェクトは「日本独自の技術で実現した世界初の試み」に他ならず、産業界からも大きな注目が集まっています。そこで、AUJ2011ではこの困難なプロジェクトを成功に導いたお一人である、プロジェクトマネージャの川口淳一郎氏を基調講演のスピーカーとしてお招きしました。
「今回、講演のお話をいただいた時、当初タイトルを“はやぶさを支えた日本のテクノロジー”と付けましたが、直前に“技術者魂”を加えました。それは、日本には今こそそれが必要だと思うからです。「はやぶさ」プロジェクトにおいて、日本独自の発想やテクノロジーが多数生かされましたが、同時に“技術者魂”と言うべきエンジニアの意地や根性が、これを成功に導いたことを知ってほしかったからです。ここでは、はやぶさの旅でどんなことが起こり、我々はどんな風に考えトラブルを切り抜けたのか――テクノロジーと技術者魂についてお話したいと思います」

太古の地球の“中身”を見つけ地球の“でき方”を探る

時にユーモアを交えながら軽やかな口調で語り始めた川口氏は、まず「はやぶさ」の目的と意義について、分かりやすく紹介してくれました。すなわち「はやぶさ」は、人類史上初めて深宇宙の天体に到達、着陸し、サンプルを採取して帰還するサンプルリターンを実現した宇宙機であること。そして、そのサンプルは、太古の地球が作られた時と同じ材料で、現在の地球上では決して手に入らないものであり、このサンプルを調べることで、地球の「でき方」を知ることができること。延いては地震や気象など、地球規模の現象を理解する上でも、それは大きな役割を果たすのです。 「昨年11月、JAXAははやぶさが持ち帰ったサンプル3,000個余を調べ、イトカワ由来であることを確認、発表しました。それらは直径10~20ミクロンの微小なものでしたが、斜長石や硫化鉄、橄欖石等が含まれていました。しかも酸素同位体の組成分析は隕石など地球外のそれと一致し、地球起源でないことが証明されたのです。まさに“地球の中身”が小惑星から見つかったのです。……実はサンプルはまだ1~2万粒ほど残してあり、それは手を付けないでおこうと考えています。将来の進んだ技術で分析すれば、新たな発見があるかもしれませんから」

世界中で日本だけの独創「サンプルリターン」への挑戦

続いて川口氏は、「はやぶさ」が目指した、もう一つの目的について語ってくれました。それが「サンプルリターン」。深宇宙まで行って小惑星に着陸し、サンプルを採取し離陸して地球までそれを持ち帰る。――言葉にすれば単純ですが、数億キロの彼方へ無人の宇宙機を単独で送り込んで行うとなると、前例のない独創であり、多様な新技術も必要です。しかし、だからこそそれを目指したのだ、と川口氏は言います。それは今まで誰もやったことのない独創の技術実証ミッションであり、「はやぶさ」はそのための工学技術実証機として、5つの重要技術の実証を担っていました。
「まず惑星間航行が可能な、単純・軽量・高信頼・長寿命なイオンエンジンが必要でした。そして、このイオンエンジンと地球スウィング・バイ併用による加速操作。そして自律的航法で天体に接近・着陸させること。続いて微小重力下で天体表面のサンプルを採取し、またカプセルを帰還させ回収する……いずれも未知への挑戦でしたが、特に注目して欲しいのは、私たちがあくまで“往復”を目指した点です。この“往復”こそが私たちの独創であり、そのための手段・技術の全てがオリジナルなものとなりました。まさに技術者魂を注ぎ込んだ最大の目標だったのです」

NASAが躊躇うくらい大胆なプロジェクトを

なぜそうまで“往復”にこだわったのか? その理由は、はやぶさのプロジェクトのきっかけとなった、1985年にあります。川口氏によれば、日本が初の惑星探査機をハレー彗星の観測に送り出したこの頃、宇宙開発先進国である米ソは火星や木星などの惑星探査に力を入れていました。そこで川口氏らは、あえて誰も注目していなかった小惑星に狙いを定め、ランデヴー計画を構想したのです。そして、イオンエンジンの開発に着手し、およそ18年をかけ2003年に完成。「はやぶさ」の原形となる小惑星ランデヴーの計画が動き始めました。ところが……。
「その矢先、小惑星ランデヴーの計画をNASAに横取りされてしまったんです。これは世界中で日本だけの独創でしたが、NASAが本気で取組んだら太刀打ちできません。非常に悔しかったですよ。だから、どうしたら自分たちの計画として進められるのか考えに考え、で、思いついたのがサンプルリターンです。NASAが躊躇うくらい大胆な計画を!という、破れかぶれのハッタリです。私たちはどうしてもNASA等の物真似でなく、私たちの独創でブレイクスルーを図りたかった。なぜなら真似では決してNO1になれません。新しいことに挑戦しなければ、新しいことはできないのですから」

製造の国から創造の国へ――私たちはできる!

サンプルリターンという独創を実現するため、イオンエンジンなど数々の新技術が開発されました。しかしそれが結集されたはやぶさは決して完璧ではない、60点のソリューションだったと川口氏は言います。誰も経験したことのない旅で何が起こるのか、予測し計算し尽くして「こういう仕掛けにすれば対処できるはず」という取組みの結晶だったのです。それでもなお、その旅は幾度となくトラブルに見舞われ、一度は完全に消息を絶つなど予測を超えた過酷なものとなりました。その現場にいた川口氏が語るお話は限りなくドラマチックで、多くの観客が息を飲んでその言葉に聞き入り、終演時には大きな拍手が鳴り止みませんでした。
「科学技術はつねに挑戦にほかなりません。高い塔を建てなければ、新たな水平線は見えてきません。“2番じゃダメなんですか?”なんて言われますが、ダメなんですね。少なくとも1番を目指さなければ、発展はないんです。そして、その新しい原動力になるのがアイディア。これまで日本は高品質な製品を比較的低廉な労働力で提供し、成長してきましたが、これからは製造の国から創造の国へ変わる必要があります。だから、私たちは日本人のポテンシャルを信じなければなりません。私たちには創造できる、という自信が必要なんですね。……はやぶさはそれを与えてくれました。私たち皆にとっていまはたいへんな時期ですが、ともに頑張りましょう!」

▲ページの先頭へ